かんかんムスメの黙々読書記録

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感染症は主権の所在を問いかける:飯島渉『感染症の中国史』中公新書

 2020年、中国の武漢を発生源とする新型コロナウイルスによって、世界は突如として混乱に陥り、これからもどうなるのか世界中の人々がヒヤヒヤしているのではないでしょうか。

そういう時こそ歴史に学ぼう、ということで、

飯島渉『感染症の中国史』(中公新書)を読みました。

タイミング的にちょっと乗り遅れちゃった感じですが、気にしない、気にしない。 

 

この本は、19世紀末から20世紀に及んで中国が取り組んだ感染症対策の歴史が扱われています。

この時代の中国は世界の植民地でもありましたから、世界中と人や物の行き来があり、各国の感染症対策も深く関わっていて、当然日本も深いかかわりをもつ国の一つでした。当時の日本が中国でどのような形で感染症に向き合っていたかも紹介されています。

 

ここでは、私が気になったポイントを紹介します。

 

本書で最初に取り上げられているのは、19世紀末のペスト大流行です。1894年の香港での大流行を皮切りに、世界的なペストパンデミックがおこりました。

このペストパンデミックの起源とされる広州に関する本書の記述は、今に通じる問題が指摘されています。

広州の流行で特徴的だったのは、ペストは「密集しかつ粗末な家に住んでいた」下層階級の間で流行し、外国租界ではペストの患者が発生しなかったことでした。(略)このことは、感染症の流行が単に細菌やウイルスとヒトとのあいだの問題ではなく、それを取り巻く社会的経済的な条件が重要であることを示しています。(p.14)

 細菌やウイルスは人間のように差別をしないため、パンデミックを前にして人間はみな平等と思われがちですが、実のところ、感染するかしないかは社会的経済的格差がもろに影響していました。衛生的な生活環境を持つこと自体が、社会的地位によって左右されてしまうんですね。

経済と技術が発達し、生活環境が比べ物にならないほど向上した今でも、結局は資本が無い者はパンデミックの中でも外に出て働かざるを得ない傾向は強いので、決して他人事ではありません。そもそも住む家が無いという人も、多いですしね。

 

ペストの大流行は中国政府の在り方をかなり変えたようでもあります。

 中国はもともと衛生事業については民間に任せっきりで政府は介入しなかったそうです。しかし、感染症対策では政府による強い介入が必要になってきて、制度化が進みました。

 

今まで民間で対応していたものをどうして政府が介入する必要が出てきたのか?

それは、感染症対策を政府主導でキッチリやらないと侵略されるから、ということのようです。

上海でペストが流行った時、その対策にかかわって租界が華界の衛生行政に強く介入しようとしており、租界側はそれを「租界の拡大にとってもっともよい機会のひとつ」という考えを持っていたそうです。

 

本書では2人の衛生事業の研究者を参照して次のように述べられています。

一九世紀末から二〇世紀半ばまでの天津における衛生事業の歴史を詳しく研究したルース・ロガスキ―は、(略)その歴史的意味は、「身体の保護」(protecting the body)から「民族の防衛」(defending the nation)へと変化していったと指摘しています。

 

アーノルド*1は、(略)衛生事業の制度化を植民地主義の功績として捉える見解に対して異議を唱え、むしろ医療・衛生事業の整備こそが植民地統治の重要なチャンネルであったという考え方を提起しました。

 

つまりざっくり言うと、衛生事業は主権にかかわる問題だったということです。

この点も現在に繋がる問題として考えられるように思います。

 

さすがにいまは感染症対策をめぐって直ちに植民地化されるような危険はないと思いますが、やはりその国がどのような対策を取るかは、国際的信頼にかかわるものとなっています。

それと同時に、国家と国民の関係も問題となっています。

日本は国民の自主的な外出自粛に頼って政府の対応が後手後手であるとも批判されていますが、一方で、ハンガリーカンボジアはウイルス抑止政策を口実に、独裁色が強まってきていると報道されています。

感染症を恐れるあまり国家に全てを委ねては、監視システムや罰則の運用によっては個人の権利が蹂躙される事態がおこるのではないか?かといって、国がイニシアチブを発揮してくれないと対策は進まない……

国家と個人(国民)の間の権力関係についてはナイーブにならざるを得ず、国民にある権利を守りながらウイルスに対応した政策を実行していくためには、適切なバランスが求められるように思います。

 

このようにしてみると、現在直面している問題は歴史的に経験してきたことの変奏でもあり、より複雑化しています。民主主義を標榜する国としては、この点について、国民自身が考え続けることからは逃れられません。

この本を読みながら、ボンヤリとそんなことを考えていました。

 

(紹介のはずが、ずいぶんと話がそれてしまいましたね…)

 

本書は、日本が中国の公衆衛生にどのようにかかわったのかや、ペスト以外の感染症も取り上げられていて、非常に面白いです。

もしよかったら、是非手に取って見てください。

 

この本のほかにも感染症に関する話題の書籍も読んでみたいと思っています。

一番気になっているのは山本太郎感染症と文明』(岩波新書)です。

残念ながら買い求めようとした時にちょうど在庫切れしていたことなどもあって未だに入手に至っていないので、近いうちに是非読みたいと思います。

 

 

感染症の中国史 - 公衆衛生と東アジア (中公新書)

感染症の中国史 - 公衆衛生と東アジア (中公新書)

  • 作者:飯島 渉
  • 発売日: 2009/12/21
  • メディア: 新書
 

 

 

感染症と文明――共生への道 (岩波新書)

感染症と文明――共生への道 (岩波新書)

  • 作者:山本 太郎
  • 発売日: 2011/06/22
  • メディア: 新書
 

 

 

 

 

*1:デイビッド・アーノルド、ルース・ロガスキ―がその研究で意識した学者で一九世紀を中心に英領インドの衛生事業の研究をおこなった